英語の先生日記

英語の先生が書いています

「通じる」だけじゃ足りない

toyokeizai.net

この記事読みました?

著者の主張は

実際、海外の実務の現場や日常生活で必要な英語と、日本で「学ばなければならない!」と思い込まされている英語の間には大きなギャップがあります。

お手本とされる英語は文学表現のような小難しい言い回しだったり、DJの英語のようだったりとさまざまですが、そのいずれも、仕事の現場や日常で使われている言葉とは大きく異なります。


世界の英語はかなり適当で、いい加減で、自由で、インチキで、胡散くさく、崩れていて、混沌としている
のです。

ということです。

私は著者の言っていることに大枠では賛成です。多国籍な職場で仕事をするのには完璧な英語は必要ないです。

しかし、「微妙な英語力」という表現は非常にミスリーディングだし、人間関係は仕事での意思疎通のみにとどまらないので、私はやはり国際的に活動するのであれば一般の人は最低限以上の英語力を備えていた方が圧倒的に有利だと思います。

この記事の中では、非ネイティブの「訛り」は問題にならず、実務のコミュニケーションではまわりくどい表現や修辞は必要ないとされています。

これを自分の都合のいいように解釈してしまうと痛い目を見るかもしれません。

 

訛りは気にするべきか

まず、「訛り」と英語のスキルは直接関係がありません。ネイティブ話者でも出身コミュニティによってはものすごく訛っている人もいます。どんな訛りも正当なものです。しかし、それが他のコミュニティ出身者とのコミュニケーションの障壁となる場合に問題となります。

著者が例に出しているのは大学の教授です。確かに業績の優れた教授は強い訛りがあっても問題にされないでしょう。でも、その業績を得られているということは英語で論文が書けて国際誌や国際学会で発表できる実力がある程度の英語力は持っている可能性は高いです。研究費が潤沢で執筆や校正を他の人に任せているのかもしれませんが。国際誌なんて、英語が不明瞭だったらどんないい研究でも「書き直せ」ってつきかえされますからね。

聞きなれない英語の訛りは誰にとっても理解しにくいですが、多国籍の環境に置かれると人は様々な訛りが聞き取れるようになってきます。訛りの原因は幾つかありますが、だいたい「不正確な発音をしている」「間違った音節(syllable)にアクセントを置いている」「特定の土地や文化で使われている方言でしゃべっている」のどれかです。地方の人が東京で仕事をするとき方言を使わないように、職場で英語が必要になったときはできる範囲で正しい発音と正しいアクセントに近づけ、自分のコミュニティ以外の人にも通じる文法でしゃべるのが無難だと思います。

正しい文法で話しているけど訛っているのは受け入れられやすいように思います。聞き取りやすい発音で文法が少し怪しいのも脳内補完がききますから大丈夫。しかし、文法がめちゃくちゃで訛っていると聞く方も結構なストレスです。私個人の感覚で言えば、訛りは個性として理解している一方で、あまりに強い訛りや文法の誤りは会話の内容から気がそれてしまうので苦手です。

「訛り」は程度問題です。あなたが大学教授並みに取り替えのきかない人材であれば英語なんてどうでもいいです。むしろ通訳でもつけてもらってください。しかし、多くの人は円滑なコミュニケーションのためにも発音とアクセントに気をつけたほうがよさそうです。

 

最低限のコミュニケーションが取れればいいのか

記事中では「わざわざ無駄な修辞にエネルギーを割かない」ということと「最低限の英語表現さえできれば仕事は問題ない」ということが混同されているように読めます。確かに職場内でのメールのやり取りに回りくどいほど丁寧な表現をする必要はありません。でも、それは回りくどいほど丁寧な表現ができなくてもいいということではないですよね。

立場によっては社外対応が必要な人もいるでしょうし、生活の中のちょっとした問い合わせだってぶっきらぼうな用件だけの文章より丁寧にお願いをしたほうがうまくいくこともあるでしょう。高い文章能力は知的労働者にとって必須と言っていいほどのスキルです。著者のお勤めだった国連だって、レポートを書かなければいけない時もあったと思うのです。

仮に最低限の英語能力で仕事が回るとしましょう。では、仕事以外のコミュニケーションはどうでしょうか?日本語でも話し方や語彙で相手の教育程度や教養が分かるように、英語でも話し方や表現の幅で相手に与える印象が全く違います。それに、言いたいことがとっさに出てこないとペースの速い会話で置いてきぼりになってしまったり、議論で言い負かされてしまったりするのです。想像するだけでもフラストレーションがたまりませんか?

 

語学力不足によって被り得る人間関係での不利益

残念なことですが、ほとんどの人は他者を判断するとき、印象に影響されます。

最低限なんとか仕事上のコミュニケーションができるレベルの英語力では、立場が不利になる可能性が高いです。相手に負担を強いるコミュニケーションにおいては心理的な上下関係ができやすく、さらにハロー効果によって実務能力を低く見積もられてしまいがちです。道化キャラになるのも戦略の一つですが、自虐的なアプローチでは周囲に一目置いてもらうというわけにはいかないでしょう。

相手が辛抱強く付き合ってくれて、長い時間をかけて関係を構築することができればあなたの良さや能力はわかってもらえるでしょう。でも、相手と素早く良い関係を築かなければいけない場面はたくさんあります。「通じる」程度の英語力では短い時間で知性と有能さを演出し、相手の信頼を勝ち取るのは難しいです。

 

何が言いたいかというと

もちろん、あなたは多国籍の職場で通用しないと言いたいわけではありません。英語が苦手でも職場で立派にリーダーシップを発揮していらっしゃる方もたくさんいらっしゃいます。実際にそんなに高い英語力が必要ない職場だってたくさんあるでしょうし、それぞれの状況や立場は違うのですから一概に必要な英語力を示すこともできません。

でも、いわゆる「綺麗な英語」を話せることは圧倒的なアドバンテージなのです。言語能力は社会階層と深い関係があるとされています。例えば、あなたが日本の有名大学卒で有名企業に勤めているなら、日本社会においてあなたをエリートと呼んで差し支えないでしょう。世界各国のあなたと似た様な立場の人は、まず間違いなく英語はベラベラにしゃべります。あなたが世界のエリートと肩を並べて対等に付き合いたければ、「通じる」レベルより上の英語力が必要です。

 

まあ、やたらと不安を煽ってしまいましたが、どれだけの英語力が必要かは個人個人の目標や環境によって違います。楽しく国際交流したいという方は英語の勉強にストレスを感じて欲しくないし、英語で仕事はできているけど雑談についていけず孤立しがちな方には悔しさをバネにコツコツ頑張っていただきたい。

 

英語学習についてのご相談を承っておりますのでお気軽にお問い合わせください。

 

trivialmatter.hateblo.jp